東京で添田さんの報告会(8/26)

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添田さんを支援する会の主催で、8/26に都内で添田さんの裁判報告会があります。ぜひお運びください。

【お知らせ】沖縄刑事事件裁判で問われているもの 8・26添田充啓さん裁判報告会

日時 2017年8月26日 14:00~17:00

会場 スタンダード会議室  東京都港区虎ノ門1-22-14 ミツヤ虎ノ門ビル3F

参加費 1000円(申込み不要)

〈沖縄平和運動裁判〉と歴史のゆくえ

森 宣雄

 

第1回 法廷という現場と、歴史の裁き

 

1 釈放の夜

2017年3月18日の夜8時、沖縄平和運動センター議長の山城博治さんがようやく自由を勝ちとった。

その夜まで、前年10月17日に米軍基地建設への反対運動中に有刺鉄線を切断したとして逮捕されてから、異例の長期にわたる身柄拘束がつづいていた。弁護団の度重なる保釈請求、連日の拘置所前での抗議と本人へむけた激励活動、国内外にひろがった釈放要求運動をへて、約5カ月ぶりに釈放されたのである。

知らせを受けて待っていた市民やマスコミ100人ほどの前にあらわれた山城さんは、東村高江の山中で逮捕された時のままのジャージと長靴すがた。急な保釈通知だったため、どこかキョトンと戸惑っているふうだった。「一日一日、まさに千秋の思いで待っていた」が、まさか「今日保釈されるとは夢にも思わなかった」と、会見でよろこびとおどろきとを語った。

しかし、弁護士以外との面会や差し入れは釈放が近づくまでかたく禁じられ、いつ終わるともしれない5カ月間の拘留生活は、頑強な山城さんにとっても心身に耐えがたい苦しみだったはずである。家族や友人たちとの再会をよろこぶ満面の笑みのなかでさえ、口元が片方だけ硬く引きつって見えたのは、精神的なストレスによるものか、それとも逮捕前からわずらっていたリンパ腫の重い病気が拘留中に悪化したのではないか――再会に涙する者たちのこころに、いたたまれない不安と悲しみ、怒りをかき立てた。

今回のように器物損壊などの刑事事件で逮捕された場合、検察官は逮捕から最長23日以内に被疑者を起訴にするか不起訴にするか判断することになっている。そもそも事件自体が軽微なものであれば、「微罪処分」として1~2日程度で身柄が解放される。にもかかわらず、山城さんらは保釈されるのを夢にも思えなくなるほどの絶望的な処遇をうけた。

どうしてなのか。刑事事件に多くかかわる人権弁護士として40年以上の経験をつんできた国会議員の照屋寛徳さんは、週1回以上のペースでこまめに山城さんの面会をつづけ、「接見の度に博治には、体調管理に徹し、狭い独居房でも運動するよう勧めてきた。『お前が健康を損なえば、国家権力の思うつぼ』と口酸っぱく言ってきた」という(照屋寛徳ブログ2017年3月21日掲載「博治から 博治へ――その11」)。山城さんの自由をうばい、健康をうばうことで新基地建設反対の世論と運動をくじくのが国のねらいだというのである。

そして照屋さんは「博治の152日間の長期異常勾留」の意味を、こう総括している。「ウチナーがウチナーンチュの人間としての尊厳を賭けて平和創造の闘いを進めるうえで、権力に抗って沖縄を生きる深い意味を、博治が身をもって体現したもの」だったのだと。

 

2 5カ月ぶりにひびく声

釈放から十日ほどたった3月27日の正午。那覇地方裁判所でひらかれる山城さんらの公判にむけた事前集会が、裁判所まえの公園でおこなわれた。

「山城博治さんたちの早期釈放を求める会」共同代表の山内徳信さんの、「これはまさに民衆が勝ちとった釈放である!」という、いつもどおりの断固たるスピーチにつづいて、山城さんがマイクをにぎった。「法廷で被告人席に座らされているのは私たち3人で、基地建設を妨害し威嚇したと言っているが、政府は、思うように基地をつくらせない150万県民の存在自体が妨害であり威嚇だと、いずれ言いかねない。そして保釈後も誰とも会わせない自宅軟禁のような接触制限に置こうとした。安倍政権は私たちが自由に県民のあいだを行き来することをそれほど恐れている。光栄じゃないか! 追い込まれているのは政府だ。いつか必ず潮目が変わる時がくる」。

那覇の晴天に、前と変わらぬ山城さんの力づよいメッセージがひびき渡り、あつまった約300人の市民と、たがいによろこびを分かちあった。

 

3 法廷が現場となる

この公判の日、わたしはある手紙のことで山城さんとやりとりした。千葉県に住む鹿野政直さんが山城さんにあてた、未投函の封書である。

鹿野さんは日本の民衆史研究を代表する歴史家として知られているが、ともに山城さんをたずねたことが何度かあった。80歳代もなかばをすぎた年輪を刻みながら、山城さんの釈放を求める署名運動にも奔走し、釈放の晩、便せん2枚に祝意をしたためた。ただ、保釈直後は接見や通信連絡の制限がきびしくついていたため、わたしが封書を預かって中身を山城さんに伝えることにしたものである。

鹿野さんから公表の許しを得て見せてもらったその文面には2つのことが記されていた。ひとつは、山城さんの釈放を求める署名をつのったときの反応は、他とはレベルがちがっていて、即座にひびき、いかに多くの人が深くあなたの身を思っていたか判然としたということ。もうひとつは、「これからは裁判所が山城さんの現場となりますね」という、ある種の予言だった。

裁判所が、静粛をきびしく要求される法廷が、大衆運動のまとめ役である山城さんの現場となる――それはいったいどんなことなのか?

鹿野さんの手紙を読んでもすぐには絵が浮かんでこなかったが、まもなく、傍聴席や法廷の周辺で、それを現実のものとして目撃することになった。担当検事が途中で検事職自体を辞職したり、裁判長が病気で倒れて辞任し交代したりと異例づくめの公判過程で、大衆運動の現場となった裁判所。そのようすを、これからお伝えしてゆきたいと思う。

 

4 沖縄平和運動裁判

その前に、まずこの裁判であつかわれる事件がどんな背景をもっているか、ざっとふり返っておこう

名護市辺野古の新基地建設にたいする沖縄県民の世論は、2014年の3つの選挙――名護市長、衆院議員沖縄選挙区、県知事選のすべてで建設反対派が勝利し、世論調査でも7~8割が反対するなど明瞭だった。辺野古と並行して建設が問題になった東村高江のヘリパッドは、墜落事故が多発する米軍の新型輸送機オスプレイのための施設であり、オスプレイ配備にたいする反対も、辺野古と同様に圧倒的だった。

この県民世論にたいし日本政府は2014年夏以降、何度かの中断をはさみながら、建設工事の強行に打って出た。そのなかで2016年10月に山城さんらの逮捕と、翌年にかけての異例の長期にわたる未決拘留がおこった。これは国際的な人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルなど国外からも多くの批判をあつめたが、年末から年明けにかけて、早期釈放をもとめる署名が国内を中心におよそ6万人分、即座にあつめられた。政府の強権的な姿勢が火種となって、これまで以上に沖縄の平和運動にたいする支持がひろがる展開をみせた。

今回の裁判は、もともと2010年代に入ってから県内のみならず国内外に支持をひろげつつあった沖縄の新基地建設反対運動にたいし、日本政府が警察と検察の権力を使って直接的な弾圧をしかけてきたものとしての性格を帯びている。この意味で〈沖縄平和運動裁判〉と呼ぶこともできる。

一連の逮捕・長期拘留・起訴でターゲットの中心にすえられたのは山城博治さんであるが、対する国側の主役はだれか。法廷にすがたを見せることはまずないだろうが、是が非でも新基地建設を強行するよう号令をとばしているさまが時折報じられる、ときの政権のトップなのだろう。

この裁判のゆくえは現在および将来の沖縄と日本の社会のあり方に大きな問いを投げかけている。

 

5 事件のあらまし

つぎに、起訴にいたった諸事件の概要を整理しよう。

 

事件発生地 事件発生日 逮捕日 被告人 容疑
① 高江 2016/10/17 同日 山城博治 器物損壊
② 高江 2016/8/25 2016/10/4・20 添田充啓・山城博治・吉田慈 公務執行妨害・傷害
③ 辺野古 2016/1/28-30 2016/11/29 山城博治・稲葉博 威力業務妨害

 

①は2016年10月17日、東村高江の山中のヘリパッド建設現場で山城さんが有刺鉄線を切断した容疑。現場近くでの準現行犯逮捕だった。山城さんは、抗議のため多数の人が山中に入っていた現場で鋭利な有刺鉄線が危険だったため切断したと、容疑を認めている。

①の容疑は軽微なものであるが、那覇地方検察庁は山城さんの身柄拘束をつづけるため、3日後の10月20日に那覇簡易裁判所に拘留請求をおこなった。しかし簡裁は同日午後に請求を却下し、地検は即座に那覇地裁に準抗告し拘留請求をしたところ、同日夜、拘留が認められた。この拘留決定に先立ち同日午後4時に、②の容疑による山城さんの再逮捕がおこなわれた。これは簡裁につづき地裁でも拘留請求が却下されるのを見越して、それを無効化し、かつ防ぐためにおこなわれた別件再逮捕だったと思われる。

②の事件自体は、約2カ月前の8月25日に、東村高江のヘリパッド建設現場で防衛省沖縄防衛局職員の稲葉正成さんに暴行を加えたという公務執行妨害と傷害の容疑である。この事件では先に10月4日に、東京都在住でヘイトスピーチなどの差別に対抗するカウンター運動をおこなう添田充啓さんが逮捕されていたが、10月20日には山城さんに加え、神奈川県の牧師の吉田慈さんも逮捕された。

これら①②の事件が11月11日に起訴されたあと、最後の③の容疑による逮捕が11月29日におこなわれた。これは、起訴後には不要な拘留は解いて保釈が認められるのが通例であるところ、なお山城さんの身柄拘束をつづけるための逮捕だったようである。事件は10カ月も前に起きており、その間、これについての証拠調べが十分におこなわれていなかったことは、のちに法廷で明らかになるからである。

容疑は名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブのゲート前路上にコンクリートブロックを積み上げ、新基地建設工事のためにゲート内に入ろうとする車両の進入を阻止したのが、威力業務妨害にあたるというもので、山城さんに加えて国内外で反戦平和写真展などをおこなってきた稲葉博さんが逮捕起訴された。

山城さんらの弁護団の三宅俊司弁護士は、裁判闘争報告集会(2017年6月3日、那覇市の自治会館)で、逮捕・再逮捕が相ついだ背景についてこう評した。「まず軽微な器物損壊で逮捕する、裁判所が拘留を認めないという、そうすると高江の事件で身柄を拘束する。起訴されると今度は別の事件で再逮捕していく。典型的な身柄を拘束し続けるための手続きが次々と行われている」。そして取り調べで「検察官の思い通りにならなければ被告人を外には出さない」という、日本の司法の病理として名高い「人質司法」の保釈請求却下が、再逮捕・再々逮捕につづき、前述の釈放要求運動を国内外によびおこすことになったのである(『山城博治さん、稲葉博さん、添田充啓さん 裁判闘争中間報告』山城博治さんたちの完全無罪を勝ち取る会編・刊、2017年)。

結局、保釈されるまでの拘留期間は、容疑事実をおおむね認めた吉田さんは1カ月あまりだったが、主たる容疑を否認した3人――稲葉さんは3カ月あまり、山城さんが5カ月、添田さんにいたっては半年以上の199日に及んだ。なお、罪状認否のちがいのためか、吉田さんの公判手続きは分離され別個に審理が先行して進められた。

 

6 刑事司法の危機

こうした逮捕と異例の長期拘留は妥当なものだったのか、異常さがあるとしたらどこにあるのか。60名あまりの刑法研究者が賛同して発表された「山城博治氏の釈放を求める刑事法研究者の緊急声明」(2016年12月28日)は、次のように解説してくれる。

3つの事件で問われた行為は、新基地建設問題をめぐる民意を表明する憲法上の権利行為としておこなわれたことは明らかであり、政治的表現行為の自由は、民主政治の上から、よほど重く確かな犯罪の嫌疑がないかぎり最大限尊重されなければならない。ところが、

 

いずれの事件も抗議行動を阻止しようとする機動隊等との衝突で偶発的、不可避的に発生した可能性が高く、違法性の程度の極めて低いものばかりである。すなわち、①で切断されたのは価額2,000円相当の有刺鉄線1本であるにすぎない。②は、沖縄防衛局職員が、山城氏らに腕や肩をつかまれて揺さぶられるなどしたことで、右上肢打撲を負ったとして被害を届け出たものであり、任意の事情聴取を優先すべき軽微な事案である。そして③は、10か月も前のことであるが、1月下旬にキャンプ・シュワブのゲート前路上で、工事車両の進入を阻止するために、座り込んでは機動隊員に強制排除されていた非暴力の市民らが、座り込む代わりにコンクリートブロックを積み上げたのであり、車両進入の度にこれも難なく撤去されていた。実に機動隊が配備されたことで、沖縄防衛局の基地建設事業は推進されていたのである。つまり山城氏のしたことは、犯罪であると疑ってかかり、身体拘束できるような行為ではなかったのである。

 

この声明と同時に発表されたプレスリリースでは、民主的に表明された沖縄の民意を国の力で踏みにじっておきながら法治国家であると豪語する政府にたいして「法律を学び、教える者として無力感におそわれる」との思いが吐露されている。また刑事司法も政府に追随し、非暴力平和の抗議行動を刑法で抑え込もうとするのは戦時治安法制の特徴であると指摘した上で、まだ「今ならば引き返して「法」をとり戻すことができるかもしれないので」緊急声明を発表したと、刑法学者としての危機感が表明された。

この事件の裁判で罪を問われるのは被告人であり、裁くのは国の公務員としての裁判官である。だが、こうした刑事司法のあり方自体の異様さを危惧する視点に立つとき、行為の是非を問われるのは裁判官、検察官、警察官たち、そしてかれらにたいする人事権をもって隠然たる権力を行使する大臣閣僚ら政治家たちである。そしてこれら国家機関の当局者たちの権力行為のゆくえは、権力をもたない民衆の、これからのくらしを決定的に左右するのである。

 

7 「歴史の裁き」ということ

いま法廷で進んでいる〈沖縄平和運動裁判〉で検察と弁護団がどう対峙し、裁判官がどのような判断を下すか、またその判断が長期的な歴史においてどんな意味役割をはたすか。それらはまだ誰にもわからないが、この文章では、裁判のゆくえが大きく私たちの歴史のゆくえにも関わっているものととらえて、歴史的な観点に立った同時進行的なレポートを記してゆきたい。

ところで、ときの権力者たちの統治行為の是非は「歴史によって裁かれる」と、よく言われる。ここでいう「歴史」とは何だろう。

ふつう「歴史書のなかで下される評価」というような意味で言われているのだろうが、ただし歴史家も歴史書も数多い。さまざまな立場がありうる。それでも、どんな立場の歴史家でも認めざるをえない一定の公共性をもった公平な評価というのが、当事者たちすべてが世を去ってしまうような長い時間、それこそ「歴史」をへるなかで研ぎすまされ、浮かびあがってくるはずだと、考えられているのだろう。その期待が、「歴史による裁き」ということばには込められている。

では、そのような公平な歴史的裁きがいつかやってくることは、何によって保証されるのか。それは目先の利益や個々人の利害得失をこえて、また特定の時代や地域をこえて受けつがれる、人間のモラルや道理、正義が守られてゆくことによってである。もしも、みながそうした努力をつつけるのをあきらめ、残される記録も歴史書もすべてときの権力者の意向に追従して書き換えられてしまってもよいということになったなら、もはや歴史による公平な裁きというものは期待できない。ありえなくなってしまう。その意味で、いまおこなう判断や行為は未来の歴史につながっており、それを支えている。

あたりまえのことを言ったようだが、20世紀の全体主義と大衆化の時代をへて、21世紀の情報化社会に入った私たち人類の未来にとって、すべての有力な記録の権力的な操作や、「嘘もつきつづければ本当になる」全社会的な暗示がけは、まんざら絵空事ではない気がする。社会や人間関係がこれまでのありようとは大きく変わっていく社会変動のなかで、人類が築いてきた民主主義やモラル、道理を、時流に抗してでも守ろうとする人びとがいなければ、「歴史による裁き」の未来も危うい。

その意味で、ほんとうに「歴史の裁き」を左右するのは、歴史を支えそのゆくえを担っている、各時代の権力なき民衆である。

次回公判は26日&公判闘争ニュース第4号

次回公判は7/26水曜日13:30です。

この日は宜野湾のコンベンションセンターで大田元知事の県民葬が挙行されます。昼からの事前集会後、こちらへ行かれる方も多いと思います。厳しい暑さが続いています。どうぞご無理のない範囲でご参加ください。

7/26 第8回公判予定

11:00-11:30 傍聴整理券配布 中央公園

12:00-13:00 事前集会 城岳公園

13:30- 第8回公判 吉田氏に対する弁護側反対尋問

公判闘争ニュース第4号1-4公判闘争ニュース第4号2-3

故大田昌秀元沖縄県知事県民葬について

(沖縄県ホームページより)

1 趣 旨

去る6月12日に御逝去された故大田昌秀氏は、沖縄県知事、参議院議員など要職を歴任し、本県の振興発展、基地問題の解決並びに平和行政の推進に尽力されました。大田氏の功績を讃え、その遺徳を偲び、冥福を祈念するため、県民葬を執り行います。

多くの県民の皆様がご出席なされますよう謹んで御案内申し上げます。

2 日 時

平成29年7月26日(水)14時~16時

3 会 場

沖縄コンベンションセンター展示棟(宜野湾市)

4 主催者

(県民葬実行委員会)

沖縄県、沖縄県議会、沖縄県市長会、沖縄県町村会、沖縄県市議会議長会、沖縄県町村会議長会、那覇市、久米島町、沖縄県経済団体会議

5 ご留意いただきたい点

誠に勝手ながら、御香典、御供花等は固くご辞退申し上げます。

なお、当日は、混雑が予想されますので、ご来場に際しては、できるだけバス、タクシー、臨時循環バスをご利用ください。

6 臨時循環バスについて

県民葬では、会場、臨時駐車場、国道58号線沿いバス停を結ぶ臨時循環バスを運行します。(県民葬循環バス運行経路図(PDF:44KB)

(1) 運行時間:(前半)12:00~14:30 (後半)15:00~16:30 ※5~10分おきに運行します。

(2) 臨時バス乗降場:① 宜野湾市立グラウンド駐車場内、②兼久原バス停付近、③真志喜バス停付近

 

 

 

 

 

第7回公判傍聴記

当会の共同代表の仲宗根勇の報告です。

PDFは右をクリックしてください WebPage

山城さんと添田さんの那覇地裁第7回公判  傍聴

山城さんたちの完全無罪を勝ち取る会
共同代表:仲宗根 勇
日時:7月12日13:30~

審理経過:遮蔽措置をとった後に検察官申請の稲葉まさのり証人に対する
反対尋問及び再主尋問がなされた。
1 稲葉証人に対する反対尋問(山城被告人・金高弁護人)
供述要旨:(2016年)7月22日にしたFルート入り口のテントなどの
撤去の準備はいつ頃からしたかについては詳しくは知りません。その前に
撤去を口頭で警告したり警告書をテントに貼り付けました。(「警告書」
を示す)それが警告書です。その中に撤去期限がすぎたら「所有権を放棄
したものとみなします。」という記載があります。その撤去の根拠は防衛
省設置法第4条19号です。
沖縄防衛局は、警察の許可を得て仮設フェンスを設置しましたが沖縄県
から道路法による手続きも必要だと指摘されたので、そのフェンスは撤去
しました。テントの撤去に関して行政代執行の手続きを取らなかった理由
は知りません。7月22日のFルートの出口側の車両やテントの撤去も口
頭で警告したり掲示物を設置したフエンスに貼り付けました。(「警告
書」を示す)警告書の中に「8月2日を経過すれば所有権が放棄されたも
のとみなします。」書かれていることは間違いありません。
本件の8月25日に現場に行った目的はフエンス設置を完成させること
であって、テント撤去の目的はありませんでした。フエンス設置を完成さ
せた後のことは、上の指示をあおぐ形でありました。私が持っていた書類
はフエンス設置作業と幹部の緊急連絡先などを書いたものです。(文書を
示されて)Fルート出口を撤去した場合の幹部の連絡先を書いたもので、
撤去後に貼ろうとして持っていた資料です。(主尋問で言った)人垣をつ
くったのは、防衛局が管理するところを明確にするためでフェンス完成ま
でそうするつもりでした。
本件の現場のビデオは何度も見ていますが、背中を押されて4~5メー
トル歩かされたことはビデオを見てのことではなく、記憶しています。私
の周囲は多数の人が密集している状況でしたが私と並行して歩いていたの
は山城さんだけでしたが近くには多くのフエンスの前で何人も体が触れ合
う状態でしたが、私に力がかかった状態ではなかった。満員電車のような
状態ではありませんでした。
私は、腰のあたりを持ち上げられ宙に浮いた状態でテントの中に押し込
まれゴミ袋の上に尻餅をついて少し仰向けのようになった。1回目と2回
目の尻餅の時で本件の山城さんたちの関係者の立ち位置は変わってはいま
せん。2回目の尻餅の途中から私のヘルメットをおしかぶされました。ヘ
ルメットを押す力と背中を押された力が同じだったので、山城さんがヘル
メットを押したと思う。山城さんは私の足元ではなく上半身の右側にいま
した。山城さんの足も私の上半身の右側にありました。「書類を取れ」と
言ったのか「書類を奪え」と言ったのか、どちらだったのかははっきりは
しません。ただ、そのような趣旨だったと覚えているだけです。背中を押
されて外へ出されたのと山城さんが外へ出たのはほぼ同時であったと思い
ます。
(甲第42号証添付のDVDビデオを提示しその1分55秒から2分05
秒までの部分の動画を再生した後、その静止画写真11枚を示して)この
写真の中で写っている山城さんをA,私(証人)をBと指摘しました。
(同じく甲第43号証添付のDVDを再生後、21枚の静止画の写真に
A,Bと記載させた。
(裁判長質問に対し)何も書いていないものは、A,Bの確認ができないも
のです。
左上腕部の診断書も写真もありません。右前腕部の傷害についは、その
日の午前9時頃に電源開発に続くアクセス道路の近くにあった待機所で同
僚に携帯で写真をとってもらいました。上司への報告は午前9時過ぎで
す。テントの外へ出た時警察官には書類を取られたことを話しました。私
は右前腕部の痛みを感じながら書類の返還を求めたのです。
(甲第43号証を再生した後)私の利き腕は右腕です。事件の翌日8月2
6日はデスクワークをしていました。(主尋問で言った)重要な仕事とい
うのはデスクワークのことです。25日の夜に警察の方と電話連絡し追っ
て打ち合わせの日時は決めることにしました。上司からは県警に行く前に
診断書を取ればいいと言われていました。8月27日に行った整形外科は
妻の紹介で行き、警察に出すための診断書を求めたわけです。診察は27
日の1日だけです。
2 稲葉証人に対する反対尋問(添田被告人・中村弁護人)
事件の日まで添田さんを知りませんでした。添田さんの右腕の袖口から
刺青ををビデオの映像ではなく実際に見ました。刺青を入れた人について
は怖いと感じました。添田さんの他には刺青の人は見ていません。
私は、警察の取り調べでは嘘偽りなく正確に話しそれを警察官がまとめ
た調書が読み上げられ、それに署名をしました。(甲第37号証警察官作
成の供述調書を示されて)この署名は私がしたものです。この中に刺青に
関する記載があるかとのお尋ねですが、(黙読した結果)刺青の記載はあ
りません。
テントに入れられた時の現場の混乱はありましたが、私は精神的に取り
乱したりはしていませんせした。反対派の中の比較的に若い2人以上の者
らに左腕を引っ張られ、後ろから押されていました。その人たちは後で映
像を見て顔が一致したわけです。しかし、左腕と左肩を引っ張っていた者
の顔は見てはいません。映像を見て後で吉田さんと添田さんとわかったわ
けです。私は防衛局が撮影したビデオを数十回見たり写真やその日のテレ
ビニュースを見たりしました。防衛局が作成したビデオから切り取った写
真を見せられたかどうかについては覚えていません。(反対派の名前が書
かれた平成28年11月5日付け巡査部長作成の報告書を示されて)これ
を見たことはありません。テント内に引っ張り込まれ20度くらいに抑え
られて添田さんが私の両膝寄りの位置で押さえていました。(裁判長の質
問に対し)添田さんが足を押さえて根拠は足元には吉田さんと添田さんが
おり、その直前に一歩近づいてきたのが添田さんでしたので、足を押さえ
たのは添田さん以外にはないと認識しています。(甲第42号証のビデオ
を再生した後、その中の1分09秒と1分16秒の静止画を示し)どちら
も添田さんかどうかはよくわかりません。2回目に倒れた時に左に高野さ
ん、右に富田さんと山城さん足元に添田さんと吉田さんがおり、他にも反
対派がいましたが私に関係したものは今言った人たちです。足を押さえら
れたことは28年10月18日の警察での取り調べ調書には書かれていま
せん。書類を取られたときは、仰向けに倒れていて両腕上腕部を押さえら
れていて足は押さえられていませんでした。
吉田が書類を取り始めて取り終わるまでの時間は10秒から15秒くら
いだと思います。それは倒れてから中腰になるまでの間です。その際に山
城さんをリーダー的存在と認識していたかとのお尋ねですが、リーダー格
ということは認識していました。添田さんについては知りません。
事件当時、年内に工事を完成させるという政府の方針は認識していまし
た。反対運動がその障害になっていることも認識しておりました。
3 稲葉証人に対する反対尋問(添田被告人・山城弁護人)
足を押さえられる前に添田さんがスマホかデジカメを持って1.5メー
トルくらいの地点から私の体に近づいてくるのを見ました。近づいた後は
デジカメなどは見ていません。足を押さえられた時間は2~3秒間です。
ヘルメットが外れて見てはいません。
4 稲葉証人に対する反対尋問(添田被告人・原田弁護人)
28年8月25日の事件当時も10月、11月の当時も反対運動によ
るヘリパット建設工事が妨害されているという認識はありました。
5 稲葉証人に対する再主尋問(松村)
10月18日の警察の調書に足を押さえられたとの記載はありませ
ん。その時は書類を取られたことを中心に話しました。11月5日の調書
では添田さんのテント内から外へ出るまでの話をしました。添田さんは私
より距離をおいた形でおり2歩くらい先にいました。
6 稲葉証人に対する陪席裁判官の補充尋問
書類を取れという他にどんな声を覚えているかとの質問ですが「今日は
何しに来た」「本当にそれだけか」「ただし暴力は振うな」という声でし
た。山城さん以外は本土の人でテントの中での声は山城さんだけでした。
(感想)稲葉証人の証言は、事件現場における被告人たちの立ち位置や行
動を確実に現認したとするものではなく、沖縄防衛局自身や警察官が撮影
したビデオや写真を見せられ、警察や検察での取り調べの過程で創作され
たストーリーに基づく思い込みの結果を内容とするものがほとんどであ
る。したがって、検察が被告人らの有罪立証のため最も重要視している稲
葉証言は、被告人らの公訴事実の証明のために十分な証拠とはなり得ない
ものであると思料される。8月25日の沖縄防衛局のF1裏における公務
に適法性がない(判例=違法な公務に対して公務執行妨害罪は成立しな
い)ことを弁護団が争点化して争うことに成功すれば、裁判官は、傷害・
公務執行妨害については無罪判決(無罪理由:犯罪の証明がない)を書く
以外の道を選択することは不可能となろう。

明12日第7回公判弁護側反対尋問開始!

前回に続き直前の告知で申し訳ありませんが、明日は第7回公判。いよいよ防衛局職員稲葉に対する弁護側の反対尋問が行われます。

山城さん添田さんをなにがなんでも有罪にするために、警察・検察のストーリーに沿ってでっち上げた証言の嘘があばかれる事でしょう!前回公判では、診察した医師の証言により、全治2週間の嘘も判明しました。

検察側を徹底的に追及し、博治さんたちの逮捕・長期勾留の不当性を明らかにし、完全無罪まで、公判闘争を闘いぬきましょう!

スケジュール

11時-11時半 傍聴整理券配布

12時-13時 事前集会 城岳公園

13時半 第7回公判開廷

 

山城さんと添田さんの那覇地裁第6回公判 傍聴記

山城さんたちの全面無罪を勝ちとる会
共同代表:仲宗根 勇
日時:7月6日13:30~

審理経過:検察官申請の吉田滋証人及び傷害診断書作成者・医師証人の主
尋問(医師については反対尋問も)
1 吉田滋証人に対する主尋問(上原検察官)
供述要旨:平成28年8月25日当時も今も神奈川県で牧師をしていま
す。3年前の8月頃に船舶免許を取って辺野古の海で基地建設反対の抗議
活動をしていました。高江に行ったのは事件があった8月25日が初めて
でした。山城さんのことはゲート前で歌を唄ったり抗議をしたりしていま
した。山城さんの役割についてお尋ねですが、私は海に出ていてその役割
はよくわかりません。
(検察官が「山城さんはリーダーではなかったか」との尋問に金高弁護
人が(刑事訴訟規則第199条の3第3項で禁止されている)誘導尋問に
当たるとして異議を申し立てた:裁判長が異議を認めたので、検察官は質
問を変えた。)
山城さんは歌うときなどには手にはマイクを持っていました。
私自身の公判で山城さんの立場についてリーダーとか話したかどうかは前
のことで記憶にありません。山城さんについては特に個人的な感情はあり
ません。添田さんは全く知らない人でした。その事件の直前に添田さんと
いう名前を聞いただけです。富田さんは3年前辺野古に通い始めた頃から
知っていました。島崎さんも全く知らない人でロディーさんと呼ばれてい
ました。警察でビデオを見せられてこの方がいたことを知ったわけです。
私は8月25日の週の日曜日の夜に来て、海へ出ていました。高江には
25日の2日前くらいから行ってダンプを止めたり沿道に立って車を止め
ようとしたりしました。25日の朝午前7時頃から8時頃かには、高江橋
のところでダンプを止めようとしていました。その後、仲間の方の無線で
N1裏のテントに防衛局が来ているとの情報がありましたので、私は様子
を見るためそこへ行きました。そこの現場には20~30人の作業服を着
た人たちがテントの入り口を固めていて、近くではパイプを解体している
様子を見ました。そこには抗議の仲間は2~3人しかいなくて共産党の国
会議員が質問をしているようでした。その時点にはそこには山城さんも添
田さんもいませんでした。どこにいたかも知りません。その後私は車に乗
って高江橋へ向かいました。そしてN1裏の状況についてそこにいた仲間
たちに伝えました。そこに山城さんもいたように思います。その後私はま
たN1裏へ戻りました。そこには山城さんも富田さんもいたように思いま
すが、他の人については知りません。防衛局の体格の大きい人たちがテン
トの入り口に立っていたりパイプを外したりしていたので、私は左のほう
の川の方から登ってテントの中へ入りました。テントの中にいた防衛局の
人に出て行ってくれと言ったように記憶しています。テントの外ではザワ
ザワしていて、テントの中では何人かの人が「出てくれ」と防衛局の職員
に言っていました。
稲葉さんという人を認識したのは警察で調書を見せられ、外側からテン
トに近づいてくるビデオを見せられて稲葉さんを知った次第で防衛局の責
任者で(テント撤去の)警告書を持っていました。稲葉さんがテントに近
づいて来たとき、「こいつを中へ入れろ」という声がしました。その声は
おそらく外にいた山城さんの声だと思いました。稲葉さんは多数の人に押
されてなだれ込むようにテントの中に入りました。私も少し外へ出て稲葉
さんを押して中へ入れようとしました。稲葉さんが倒れた状態で右に富田
さんがいました。そのときテントの中に山城さんがいたかどうかは知りま
せん。
(「山城の顔が見えたか」との質問に金高弁護人が誘導尋問として異議
→裁判長が異議認容 検察官は質問を変えた。)
稲葉さんをテントの中に押し込んだとき山城さんがいたかとの質問です
が、人数も多い中で視野が限られていたので具体的な位置関係についての
記憶はありません。テントにターンする前までは山城さんが外にいたと思
います。
入って左側のゴミ袋の上に尻餅をついて倒れた後、私が稲葉さんとやり
とりしていたとき、左の後方から「書類をとれ」という山城さんらしい人
の声が聞こえました。その声は私に対して言われたわけではありません。
添田さんが左側にいた位置関係は知っています。後ろには複数の人がいま
した。稲葉さんから書類を取ったのは私一人ですが、他の人の手も伸びて
いて、くすぐったりしたりしました。稲葉さんは「やめてくれ」という状
態でした。
(次の質問をしようとした検察官に対し、裁判長が重複質問だと指摘し
て検察官に注意した。)
私が取った書類は誰だかが奥の方へ持って行き、ロディーさんほか1~2
名の人がカメラを構えていました。添田さんらしき人がいましたが、書類
が誰の手に渡ったのかはっきりしません。添田さんが持って行ったと(私
の公判などで)言った覚えもない。稲葉さんの脱げた靴を私が外へ投げ返
して、私はテントの中に身を潜めていました。ロディーさんが目立たない
ようにと言ってくれたからです。私は、稲葉さんのファイルから落ちた書
類を拾ってズボンに挟んでいました。その書類をどうしようと思っていた
かについては答えたくありません。山城さんに渡そうとしたと私の裁判で
言ったかどうかについてははっきり覚えていません。警察で再現した記憶
はありますが、仲間にこんなものが落ちていたと知らせようと思ったが、
山城さんに渡そうとした記憶はありません。添田さんが稲葉さんに覆いか
ぶさるようにしていたのは書類をとる前のことで、私の右に富田さんがい
ましたが、取った後の位置関係は全くわかりません。
(取り調べ済みの甲56号証写真を示されて)右側に添田さんがいるがそ
の状態は全くわかりません。私はこれらの人物の特定はのちに警察での調
べの中でしか知りません。
2吉田滋証人に対する主尋問(松村検察官)
山城さんの抗議活動における私の認識は人により意見によって評価が分
かれるので、彼がリーダーであるかどうかはわかりません。
3 医師に対する主尋問(松村検察官)
私は整形外科の医師として約29年間の経歴があります。平成28年8
月27日に稲葉まさのりさんを診察してお示しの診断書に病名と加療期間
が書かれていますが、これは私が作成したものです。右上肢に内出血みた
いな変色がありました。頚部はレントゲンをとりましたが異状はなく、薬
は出したと思います。
4 医師に対する反対尋問(金高弁護人)
稲葉さんは怪我の原因を揉みあっていたとか言っていましたが定かでは
ありません。(甲第110号証添付のカルテを示されて)カルテには引っ
張られたと記載がありますので、稲葉さんがそう説明したと思います。診
断書は職場に出すとのことで稲葉さんの希望で作成しました。頚椎を4方
からレントゲンを撮ったが異常はなく、そのほかのテストも異常はありま
せんでした。加療期間2週間とした根拠は変色が消えるのが2週間くらい
とみたからです。腕のところが2週間としたメインと思う。
(カルテの下から5行目にある「希望により2W」の記載を示されて)
「希望により」というのは稲葉さんの希望により加療期間を2週間にした
ということです。引っ張られて頚椎捻挫が絶対に起こり得ないとは言えま
せんが、私の経験ではありません。稲葉さんの通院は1日だけでした。
5 医師に対する再主尋問(松村)
アザが消える時間はどう決められるのかは、印象としてそのように思っ
たわけです。稲葉さんには痛みどめと胃薬と湿布薬の3種の薬を出してい
ます。
6 次回期日 7月12日午後1時30分
(感想)前回第5回法廷での防衛局職員に対する証人尋問において前裁判
長と同様に遮蔽措置をとった結果、弁護団から柴田新裁判長らの全部の裁
判官が忌避されたので、新裁判長も権力志向・出世願望のいわゆるヒラメ
裁判官かと危惧されたが、本日の訴訟指揮を見るかぎり主尋問においては
訴訟規則で禁止されている誘導尋問を検察官が繰り返したことに対し、金
高弁護人が数回に渡って適時適切に異議をした。裁判長は一回だけ異議を
却下しただけでその他は全て異議を認めて検察官の非を鳴らした。かなり
骨のある訴訟指揮だったので少し安心したが、判決まで油断はできない。
吉田証人に対する検察官の主尋問においては、尋問内容自体の時的限定
が不明確な質問が多かったため証人が供述に戸惑う場面が見られた。吉田
証人の供述だけがおそらく検察官が山城さんたちの共謀共同正犯を基礎づ
ける人的証拠となるものと思われるから、本日の証言自体は曖昧模糊とし
たものであり、弁護側の反対尋問では誘導尋問も許されるので、そのあい
まいな供述を明確化し、真実を導き出すことが可能である。本日の医師の
供述によって、傷害の事実自体も針小棒大の虚構のストーリーが検察・警
察によって作られたことが明白になった。そうなると、全面無罪の道がひ
らけてきそうだ。わが「全面無罪を求める会」(旧・早期釈放を求める
会)は皆さんとともに一層の奮闘を誓う。
(注)1 誘導尋問とは
尋問者が求めている答えが尋問自体に暗示されている質問のこと。
「はい」、「いいえ」で答えられる尋問の仕方が多い。主尋問や再主尋問
では尋問者と証人とは友好的な関係にあるから暗示に誘導されて供述する
危険があるので、記憶喚起のためなどの他は刑事訴訟規則で原則的に禁止
されているが、反対尋問ではそうした関係にないから、必要があるとき
は、誘導尋問をすることができることになっている(刑事訴訟規則199
条の4第3項)。
2 吉田証人について
同人は山城さんらとの平成28年8月25日の傷害・公務執行妨害罪の
共犯として起訴されたが、第1回公判において他の被告人らと公判手続き
が分離されて別個に審理が進められ、判決を待つばかりとなっている。分
離の理由は同人が取り調べの過程で検察・警察のストーリーをほとんど認
めたことにあるのではないかと思われる。分離された同人の公判での供述
を傍聴したが、同人の性格の弱さなどから捜査によって肉体的・精神的に
限界的なダメージを受け、私見では、ほとんど心身耗弱状態で自白がなさ
れたのではないかと考えられる。

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