山城さんと添田さんの那覇地裁第6回公判 傍聴記

山城さんたちの全面無罪を勝ちとる会
共同代表:仲宗根 勇
日時:7月6日13:30~

審理経過:検察官申請の吉田滋証人及び傷害診断書作成者・医師証人の主
尋問(医師については反対尋問も)
1 吉田滋証人に対する主尋問(上原検察官)
供述要旨:平成28年8月25日当時も今も神奈川県で牧師をしていま
す。3年前の8月頃に船舶免許を取って辺野古の海で基地建設反対の抗議
活動をしていました。高江に行ったのは事件があった8月25日が初めて
でした。山城さんのことはゲート前で歌を唄ったり抗議をしたりしていま
した。山城さんの役割についてお尋ねですが、私は海に出ていてその役割
はよくわかりません。
(検察官が「山城さんはリーダーではなかったか」との尋問に金高弁護
人が(刑事訴訟規則第199条の3第3項で禁止されている)誘導尋問に
当たるとして異議を申し立てた:裁判長が異議を認めたので、検察官は質
問を変えた。)
山城さんは歌うときなどには手にはマイクを持っていました。
私自身の公判で山城さんの立場についてリーダーとか話したかどうかは前
のことで記憶にありません。山城さんについては特に個人的な感情はあり
ません。添田さんは全く知らない人でした。その事件の直前に添田さんと
いう名前を聞いただけです。富田さんは3年前辺野古に通い始めた頃から
知っていました。島崎さんも全く知らない人でロディーさんと呼ばれてい
ました。警察でビデオを見せられてこの方がいたことを知ったわけです。
私は8月25日の週の日曜日の夜に来て、海へ出ていました。高江には
25日の2日前くらいから行ってダンプを止めたり沿道に立って車を止め
ようとしたりしました。25日の朝午前7時頃から8時頃かには、高江橋
のところでダンプを止めようとしていました。その後、仲間の方の無線で
N1裏のテントに防衛局が来ているとの情報がありましたので、私は様子
を見るためそこへ行きました。そこの現場には20~30人の作業服を着
た人たちがテントの入り口を固めていて、近くではパイプを解体している
様子を見ました。そこには抗議の仲間は2~3人しかいなくて共産党の国
会議員が質問をしているようでした。その時点にはそこには山城さんも添
田さんもいませんでした。どこにいたかも知りません。その後私は車に乗
って高江橋へ向かいました。そしてN1裏の状況についてそこにいた仲間
たちに伝えました。そこに山城さんもいたように思います。その後私はま
たN1裏へ戻りました。そこには山城さんも富田さんもいたように思いま
すが、他の人については知りません。防衛局の体格の大きい人たちがテン
トの入り口に立っていたりパイプを外したりしていたので、私は左のほう
の川の方から登ってテントの中へ入りました。テントの中にいた防衛局の
人に出て行ってくれと言ったように記憶しています。テントの外ではザワ
ザワしていて、テントの中では何人かの人が「出てくれ」と防衛局の職員
に言っていました。
稲葉さんという人を認識したのは警察で調書を見せられ、外側からテン
トに近づいてくるビデオを見せられて稲葉さんを知った次第で防衛局の責
任者で(テント撤去の)警告書を持っていました。稲葉さんがテントに近
づいて来たとき、「こいつを中へ入れろ」という声がしました。その声は
おそらく外にいた山城さんの声だと思いました。稲葉さんは多数の人に押
されてなだれ込むようにテントの中に入りました。私も少し外へ出て稲葉
さんを押して中へ入れようとしました。稲葉さんが倒れた状態で右に富田
さんがいました。そのときテントの中に山城さんがいたかどうかは知りま
せん。
(「山城の顔が見えたか」との質問に金高弁護人が誘導尋問として異議
→裁判長が異議認容 検察官は質問を変えた。)
稲葉さんをテントの中に押し込んだとき山城さんがいたかとの質問です
が、人数も多い中で視野が限られていたので具体的な位置関係についての
記憶はありません。テントにターンする前までは山城さんが外にいたと思
います。
入って左側のゴミ袋の上に尻餅をついて倒れた後、私が稲葉さんとやり
とりしていたとき、左の後方から「書類をとれ」という山城さんらしい人
の声が聞こえました。その声は私に対して言われたわけではありません。
添田さんが左側にいた位置関係は知っています。後ろには複数の人がいま
した。稲葉さんから書類を取ったのは私一人ですが、他の人の手も伸びて
いて、くすぐったりしたりしました。稲葉さんは「やめてくれ」という状
態でした。
(次の質問をしようとした検察官に対し、裁判長が重複質問だと指摘し
て検察官に注意した。)
私が取った書類は誰だかが奥の方へ持って行き、ロディーさんほか1~2
名の人がカメラを構えていました。添田さんらしき人がいましたが、書類
が誰の手に渡ったのかはっきりしません。添田さんが持って行ったと(私
の公判などで)言った覚えもない。稲葉さんの脱げた靴を私が外へ投げ返
して、私はテントの中に身を潜めていました。ロディーさんが目立たない
ようにと言ってくれたからです。私は、稲葉さんのファイルから落ちた書
類を拾ってズボンに挟んでいました。その書類をどうしようと思っていた
かについては答えたくありません。山城さんに渡そうとしたと私の裁判で
言ったかどうかについてははっきり覚えていません。警察で再現した記憶
はありますが、仲間にこんなものが落ちていたと知らせようと思ったが、
山城さんに渡そうとした記憶はありません。添田さんが稲葉さんに覆いか
ぶさるようにしていたのは書類をとる前のことで、私の右に富田さんがい
ましたが、取った後の位置関係は全くわかりません。
(取り調べ済みの甲56号証写真を示されて)右側に添田さんがいるがそ
の状態は全くわかりません。私はこれらの人物の特定はのちに警察での調
べの中でしか知りません。
2吉田滋証人に対する主尋問(松村検察官)
山城さんの抗議活動における私の認識は人により意見によって評価が分
かれるので、彼がリーダーであるかどうかはわかりません。
3 医師に対する主尋問(松村検察官)
私は整形外科の医師として約29年間の経歴があります。平成28年8
月27日に稲葉まさのりさんを診察してお示しの診断書に病名と加療期間
が書かれていますが、これは私が作成したものです。右上肢に内出血みた
いな変色がありました。頚部はレントゲンをとりましたが異状はなく、薬
は出したと思います。
4 医師に対する反対尋問(金高弁護人)
稲葉さんは怪我の原因を揉みあっていたとか言っていましたが定かでは
ありません。(甲第110号証添付のカルテを示されて)カルテには引っ
張られたと記載がありますので、稲葉さんがそう説明したと思います。診
断書は職場に出すとのことで稲葉さんの希望で作成しました。頚椎を4方
からレントゲンを撮ったが異常はなく、そのほかのテストも異常はありま
せんでした。加療期間2週間とした根拠は変色が消えるのが2週間くらい
とみたからです。腕のところが2週間としたメインと思う。
(カルテの下から5行目にある「希望により2W」の記載を示されて)
「希望により」というのは稲葉さんの希望により加療期間を2週間にした
ということです。引っ張られて頚椎捻挫が絶対に起こり得ないとは言えま
せんが、私の経験ではありません。稲葉さんの通院は1日だけでした。
5 医師に対する再主尋問(松村)
アザが消える時間はどう決められるのかは、印象としてそのように思っ
たわけです。稲葉さんには痛みどめと胃薬と湿布薬の3種の薬を出してい
ます。
6 次回期日 7月12日午後1時30分
(感想)前回第5回法廷での防衛局職員に対する証人尋問において前裁判
長と同様に遮蔽措置をとった結果、弁護団から柴田新裁判長らの全部の裁
判官が忌避されたので、新裁判長も権力志向・出世願望のいわゆるヒラメ
裁判官かと危惧されたが、本日の訴訟指揮を見るかぎり主尋問においては
訴訟規則で禁止されている誘導尋問を検察官が繰り返したことに対し、金
高弁護人が数回に渡って適時適切に異議をした。裁判長は一回だけ異議を
却下しただけでその他は全て異議を認めて検察官の非を鳴らした。かなり
骨のある訴訟指揮だったので少し安心したが、判決まで油断はできない。
吉田証人に対する検察官の主尋問においては、尋問内容自体の時的限定
が不明確な質問が多かったため証人が供述に戸惑う場面が見られた。吉田
証人の供述だけがおそらく検察官が山城さんたちの共謀共同正犯を基礎づ
ける人的証拠となるものと思われるから、本日の証言自体は曖昧模糊とし
たものであり、弁護側の反対尋問では誘導尋問も許されるので、そのあい
まいな供述を明確化し、真実を導き出すことが可能である。本日の医師の
供述によって、傷害の事実自体も針小棒大の虚構のストーリーが検察・警
察によって作られたことが明白になった。そうなると、全面無罪の道がひ
らけてきそうだ。わが「全面無罪を求める会」(旧・早期釈放を求める
会)は皆さんとともに一層の奮闘を誓う。
(注)1 誘導尋問とは
尋問者が求めている答えが尋問自体に暗示されている質問のこと。
「はい」、「いいえ」で答えられる尋問の仕方が多い。主尋問や再主尋問
では尋問者と証人とは友好的な関係にあるから暗示に誘導されて供述する
危険があるので、記憶喚起のためなどの他は刑事訴訟規則で原則的に禁止
されているが、反対尋問ではそうした関係にないから、必要があるとき
は、誘導尋問をすることができることになっている(刑事訴訟規則199
条の4第3項)。
2 吉田証人について
同人は山城さんらとの平成28年8月25日の傷害・公務執行妨害罪の
共犯として起訴されたが、第1回公判において他の被告人らと公判手続き
が分離されて別個に審理が進められ、判決を待つばかりとなっている。分
離の理由は同人が取り調べの過程で検察・警察のストーリーをほとんど認
めたことにあるのではないかと思われる。分離された同人の公判での供述
を傍聴したが、同人の性格の弱さなどから捜査によって肉体的・精神的に
限界的なダメージを受け、私見では、ほとんど心身耗弱状態で自白がなさ
れたのではないかと考えられる。

膨張期のPDFはこちらから WebPage5

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